ブリルアン分光法の原理
ブリルアン分光法は、単色のレーザー光を試料に照射し、熱的に励起された音響フォノン(音波)による非弾性散乱光の、入射光からの振動数のずれを測定する分光法です。ずれは GHz 程度とラマン散乱の千分の一以下で、そこから音速、弾性率、粘弾性といった力学的性質が得られます。非接触・非破壊で、顕微鏡と組み合わせれば細胞や組織の硬さを3次元で測ることもできます。
光散乱の種類
ブリルアン散乱とラマン散乱
光散乱には、振動数が変わらないレイリー散乱と、振動数が変わる非弾性散乱があります。非弾性散乱のうち、分子振動や光学フォノンによるものがラマン散乱(THz 領域)、音響フォノンによるものがブリルアン散乱(GHz 領域)です。
hνB が熱エネルギー kBT よりはるかに小さいため、ストークス線とアンチストークス線はほぼ同じ強さで現れます。この点はラマン散乱と大きく異なります。
散乱の運動学
エネルギーと運動量の保存
散乱の前後で、エネルギーと運動量の両方が保存されます。音響フォノンの振動数 Ω は光の振動数よりはるかに小さいので、散乱光の波数は入射光とほぼ等しくなります。
後方散乱(θ = 180°)では νB = 2nv/λ0 となり、シフトは最大になります。顕微鏡測定の多くはこの配置です。
音響フォノンによる
屈折率の周期変調
物質中では熱揺らぎによって、さまざまな方向と波長の音波が常に伝わっています。音波は密度の粗密をつくり、光弾性効果によって屈折率も周期的に変化します。この屈折率の縞は、光にとって音速 v で動く回折格子として働きます。
ブラッグ条件を満たす波長 Λ の音波だけが光を回折し、縞が動いているため回折光はドップラー効果で振動数が ±v/Λ ずれます。近づく音波からはアンチストークス光、遠ざかる音波からはストークス光が生じます。2式から Λ を消去すると、前のスライドの νB = (2nv/λ0) sin(θ/2) と一致します。
ブリルアンシフトと弾性率
測定したシフト νB から縦波の音速が決まり、密度 ρ と組み合わせると縦弾性率(ロンジチューディナル・モジュラス)M が求まります。ピークの幅 ΓB は音波の減衰を表し、粘性に関係する損失成分を与えます。
例:水(ρ ≈ 997 kg/m³、v ≈ 1497 m/s)では M′ ≈ 2.2 GPa です。弾性率を求めるには n と ρ が必要ですが、生体試料では ρ/n² がほぼ一定とみなされることが多く、νB の変化が弾性率の変化の目安として使われます。
ブリルアンシフトの大きさ
後方散乱で計算した典型値です。波長に直すとピコメートル程度のずれしかなく、ラマン散乱(532 nm 励起・1000 cm⁻¹ で約 30 nm)と比べて桁違いに小さいことが分かります。
- 波数
- 0.25 cm⁻¹
- 波長のずれ
- 7.1 pm
- 条件
- n = 1.334、v = 1497 m/s
- 波数
- 0.17 cm⁻¹
- 波長のずれ
- 10.4 pm
- 条件
- n = 1.329、v = 1497 m/s
- 波数
- 1.09 cm⁻¹
- 波長のずれ
- 30.9 pm
- 条件
- n = 1.461、v = 5968 m/s
ブリルアン分光装置の構成
- 1単一周波数レーザーシフトが GHz と小さいため、線幅がブリルアン線幅より十分狭く、周波数が安定した単一縦モードの光源が必要です。
- 2吸収セル(ノッチフィルタ)ヨウ素やルビジウムの蒸気セルで、励起波長の弾性散乱光(レイリー光や反射光)だけを吸収して取り除きます。
- 3高分解能・高コントラスト分光器タンデム・ファブリーペロー干渉計(コントラスト 10¹⁰ 以上)や、高速に測れる VIPA 分光器を使います。回折格子の分光器では分解能が足りません。
励起光源と波長の選択
散乱強度は波長の4乗に反比例し、ブリルアンシフトは波長に反比例します。短波長ほど信号は強くシフトも大きくなりますが、生体試料では光毒性や吸収を考えて長波長を選ぶこともあります。弾性散乱光を取り除く吸収セルの有無も、波長を選ぶ要因になります。
- 水での νB
- 7.5 GHz
- 相対強度
- 1
- 吸収セル
- ヨウ素(I₂)
- 水での νB
- 6.0 GHz
- 相対強度
- 約 0.42
- 吸収セル
- —
- 水での νB
- 5.1 GHz
- 相対強度
- 約 0.22
- 吸収セル
- ルビジウム(D₂線)
いずれの波長でも、線幅がブリルアン線幅(水で数百 MHz 程度)より十分狭い単一縦モード発振と、高い周波数安定性が必要です。周波数のドリフトはそのままシフトの測定誤差になり、吸収セルを使う場合は吸収線に波長を合わせ込む必要があります。
